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褒める、評価する、認めるって・・・?

都内の保育園での美術の時間でのこと。

 

6歳の女の子Mちゃんが言いました。

「かるべ先生は色が混ざってよくわからない絵が好きなんだよね」

 

むむむーーーー(-_-;)

するどい一言!💦

 

Mちゃんはいつも

私が色を混ぜることで生まれる、見たことのない色や、

訳のわからないおもしろい形が作れるのを見せて提案しても

果物とかお家とか「何か」を描いていました。

私の中にMちゃんを受け入れられない気持ちが生じ

そんな自分に違和感というか、ザラザラした気持ちを持っていました。

そういう事は、ちゃんとお見通しだったんだーーー!!

 

で、気になって、片づけの時にMちゃんに聞いてみました。

「ねえねえ、さっき言ってたこと、詳しく聞かせてよ」

「かるべ先生はいつもそういうのをやって見せるし。

でもね、私はこういうの描きたい!と思うのを描きたいの。イメージがあってそれを描きたいの」

と言って、自分のスケッチブックを持ってきて見せてくれました。

そこには画面いっぱいに、びっしりと文字や何かの絵が描かれていました。

 

描きたい!という気持ちと、描けることの喜びがあふれていて

見ていて、とても楽しい気持ちになってきます。

 

なによりも

「私はこういうのを描きたいの」という気持ちがあるって

すごいじゃないですか!

 

私は自分の、表現を受け止める引き出しの小ささを、突き付けられたようで、猛反省~~!💦

私は正解と不正解を作ってしまっていたんだ。

これは〇で、これは×。というものを感じさせてしまっていた。

 しかも、正解のないアートの時間、とか言ってるくせにーーー!!

 

もちろんMちゃんの作品を否定したことはない。でも
めちゃくちゃ私好みの作品を作った子がいて

めっちゃ褒めていたら、それが〇で

それと違う自分は×。温度差を感じるよね💦

 

 

「褒める」は、あるところから「評価」になる。

評価された子の中にも、それを聞いていた他の子の中にも

「評価される基準」が生まれてしまう。

それに照らし合わせて、自己肯定感を低くしたり

自分の感覚ではなくて、その基準に合わせていくようになる。

 

子どもに影響力のある大人(親や先生)の持っている正解は

時として 

自分の本当の声を聞こえなくさせる、呪文になってしまう。

 

そういえば、うちの子ども達(18歳と20歳)も時々言います。

「お母さんはこういうの好きじゃないから」

そして、本当に自分が買いたい物を買えなかったりする。

 

じゃあどうする?

 

今は「褒める」「評価」「認める」などなどが、

頭の中をグルグルしてて正解はわからないけど

褒めるのではなくて、

感じたことを真摯に言葉にして伝えていこう。

その人の感じ方、在り方が表れた線や色や形を、「ああ、あなたはこうなんだね」と

一緒に喜べたらいいな。と思う。

 

 

今日も、子ども達に大切なことを教えてもらいました✨

子どもってすごいなあ✨

 

画面いっぱいのMちゃんの表現。

個人的に大好きな「ビリーブ」の歌詞が

たどたどしい筆跡で書いてあって

めちゃ心が震えたよ~~~✨