都内の保育園での美術の時間。
本物のアジの干物を持ち込みました。
なかなかじっくり対面したことが無いようで、
こわごわ触る。
おなかの部分の虹色や、血走った目を観察する。
ひっくり返して「骨があった!」
二つ折りにして「魚はこう泳ぐ!」
と、どんどん盛り上がる。
最初はいろいろな画材で、「アジを描こう」という提案を楽しんでくれます。
でもそのうちに、描きたいものがどんどん浮かんでくるようです。
あんなに盛り上がっていたのに、アジの干物はどこへ行ったやら・・・
そして2枚目は、ほとんどの子が、自分の描きたいやり方で、描きたいものを描き始めます。
プロペラ、電池、ダンプカー、家族の顔、手裏剣、黒いサメなどなど。
彼らの頭の中はとっても自由。画材の感触を堪能している子もいます。
しかし、そういう子ども達の行動を否定することなく
モチーフを描かせようと強制することなく
一緒に楽しんでみると、おもしろい表現がどんどん生まれます。
帰り道「モチーフを描いてくれないのは、私の指導力が悪いのか?」と考える。
もう一人の自分の声が聞こえてくる。
「いやいや、いつから指導なんてするようになった?
みんなが同じものを描くようになったら、自分の在り方を見直したほうがいいよ!
強制的になってないか、圧力をかけていないか、コントロールしようとしていないかってね」
モチーフを上手く表現できるか、作品を作っているか、遊んでいないか
美しい色を塗れたか、大人のねらい通りに行ったか、ではなくて
自分の中から「描きたい」と思うものが浮かんできて
それを描く。とても満足する。
それ以上に何が必要なのか?
太古の昔、描きたいものがひらめいて、炭か、土くれを手に取り、
洞窟の壁に何かを描いた人と同じ。「表現」とはとてもシンプル。
自分の中にあるものを表出すること。
それを自分で否定することなく、誰かの軸で評価することなく
楽しくできる事が素晴らしい。
モチーフや画材や提案は、心を動かすきっかけ。
心が動けば何かが生まれてくる。
子ども達が描いた作品は、モチーフにとらわれずに眺めると
描きたい気持ちが溢れてて、とてもいいなあと思います。
子どもが具体的な、なにかを描かないという、心配はご無用。
子ども達は、素晴らしい表現力を持っています✨
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