こんにちは、アートあそびラボの苅部洋子(かるべようこ)です。
横浜市内の保育園で、アートあそびのいろいろな素材を持って、原っぱへ遠足に出かけました。
遊具もベンチもなく、ただ、自然に囲まれた空間です。
子ども達は、走り回り、枝を集めてBBQごっこを始めます。
造形や素材の探求に没頭する人もいます。
直感的にパネルを組み合わせて造形し、
クレヨンをおろし器で削り、粘土と混ぜることに夢中になっています。
造形と原っぱを行き来する人もいます。
大人の想定する造形(自然物を使った造形)は誰もやりません💦やらせる事もありません。
誰もが無理をせず、それぞれが自分を満たし、穏やかな時間が自然に流れていました。
室内で行う美術あそびや、いつものお散歩とは何かが違います。
穏やかな日差し、風、鳥の声、木々のざわめき。周りの自然や友人、素材、などと響き合い、遊びや創造が生まれ、形が残るものもあれば、残らないものもある。
先生達との振り返りの対話で、ある先生が言いました。
「俯瞰してみたときに、空間がキャンパスになって、子ども達が遊び、何かを生み出す姿が描かれている、1枚の絵のようだった」
きっと、大人の中に、何かを作らせなくては、作品を残さなくては。という「ねばならない」があったら、この風景には気付かなかっただろうと思います。
「美術」「アート」という切り口で考えると、
ついつい作品を作ることに、とらわれてしまう。
「表現」と考えると、作品を残さなかった子ども達も
泣く、かんしゃくを起こす、ケンカする、没頭する、走る、笑う、歌う、等々。たくさん心を動かし、それらを表現していました。
それぞれが、自分のやりたいことに没頭する瞬間。
手の中で何かが創造されて、消えていく。
「これは僕のだよ!」VS「ここにあったんだもん!」
先生方は、できるだけ介入せずに、ケガの危険だけを見守ります。
子ども達は常に、自分の中にあるものを表現しています。
大人になると、自分の中のものを表現できなくなっていきます。
表現したものを評価、否定、無視されていると、表現することを諦めてしまいます。
結果や成果、〇✖にとらわれずに、子ども達の表現を、見つけて、受け止めていきたいです。
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